信仰は逃避ではない

信仰(宗教)というと、弱い人間のするイメージがあるかもしれないけど、全くそんなことはない。

確かに、信仰を始めた人の多くは、人生に行き詰まりを感じていた人だろうと思う。その後は、苦しい現状を打破しようと日々の修行に励んでいる人もいる。信仰に頼りたくないという自力派の人達にしてみれば、情けないとかそういう意見もあることだろう。

果たして、本当にそうだろうか…

簡単に言えば、正しく信仰することで生命力(パワー)が頂ける。その頂いた生命力で、あらゆる困難に立ち向かうことが出来るのである。

信仰の力によって、諦めていたことに挑戦できたり、出来なかったことが出来るようになることもある。それは信仰のおかげじゃなくて、本人が頑張った成果だと言う人もいるだろうけど、意外と本人はそんなに努力していない。

私は、2月の広布推進会にて300人の前で体験発表させて頂いたけど、直前に体調不良に襲われ、原稿を読む練習は1回しか出来なかった。ただ「感激溢れる体験発表にしたい」と祈っていただけである。

4月2日(本日)9時より、泰福寺にて広布唱題会&支部総会がある。その支部総会で私は再び体験発表させて頂けることになった。正直、今回は全く練習できなかったけど、広布唱題会にて「感激溢れる体験発表にしたい」と御祈念するから堂々と使命を果たしたい。

確かに今の私は未だ浮き沈みが激しいけど、これでも体調は改善している。うつ病初期の私に「笑顔」は無縁だった。その頃をご存知の人達に話を聞くと、当時は無表情だったらしい。(そんな記憶ないが…)

笑うことが大事であると思えるようになったのは、私は日蓮正宗の信仰のおかげだと思っている。最近の私しか知らない人には、信仰の功徳とか御利益とかそういうことは伝わりにくいことだけど…

でも今伝えたいことは、『信仰は逃避ではない!!』ということである。

むしろ信仰しなければ迷宮入りしてしまう。信仰することで人生のナビが道案内してくれる。信心修行をサボると検索ルートから外れてしまうけど、最近の私はそのような状態だった。

今の時代は、信仰(人生のナビ)に頼らず、ゴールにたどり着ける自信がある人ばかりではない。無事ゴールにたどり着きたいから信仰する、これは逃避ではなく前進である。

『信仰することは前進することである!!』

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