信仰は自分自身の為に

誰かを幸福な人生に導きたいとか、誰かを守ったり救ったりする為に信心している人もいることだと思うけど、信心は誰かの為と思っているようでも、本当は自分自身の為なのである。

人生は、正しく信仰できたかどうかで、成仏するのか・地獄に堕ちるのか、が決まってくる。

  • 良い臨終の相(成仏の姿)は、生前に色黒の人が色白に変わり、生前に肥満だった人が軽くなり、遺体は柔らかくなる。
  • 悪い臨終の相(地獄の姿)は、生前に色白の人が色黒に変わり、生前に細身だった人が重くなり、遺体は硬くなる。

臨終の相については日蓮大聖人様の御指南である。まだ私は日蓮正宗信徒の臨終を見たことがないけど、他宗だった私の親族の遺体は悪いものだった。

とはいえ、私は死後の世界を見たことがないし遺体も多く見ていない。でも、今まで他宗で不幸になった人達は何人も見てきている。もう、日蓮大聖人様に頼るしかない。

私は、日蓮大聖人様の仰せ(御書)を素直に信じて、日蓮大聖人様に全てお任せする!!

小学生のときの私は、美術の授業で「滅亡の地球」を描いた。未来の街というテーマで、周りはドラえもんとかアニメで出てくるような未来を描いたのに対して、私は暗闇の未来(廃墟)を描いた。

仏法を知るまでは、もう地球人は救いようがないって思い込んでた。世界を見れば戦争やテロが起きてる、餓死してる人達がいる。日本でも殺人事件、虐待、いじめがある。その現実を思うと、地球の未来は暗闇としか思えなかった。

日蓮大聖人様の仏法を実践すると、濁った泥水の中に白い蓮華が咲くように、濁った世の中にいても、その濁りに染まることなく幸福な人生を過ごせる。まだ煩悩の多い私ではあるけど、仏法の力で心を浄化させたいと思っている。

類は友を呼ぶというように、自分が変わらなければ周りも変わらない。だから、誰かを幸福に導きたいなら、まずは自分自身が幸福になる必要がある。だから、信仰は自分自身の為に、と私は思うのである。

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