何かを証明するには実験が必要

仏法を信仰すれば功徳(幸福)があり、仏法を信仰しなければ罰(不幸)がある。

このことを非現実的などと考える人の方が多いと思うけど、では、非現実である証拠を見せてほしいと私は思う。

何故、日蓮正宗信徒が「功徳(くどく)と罰(ばち)」のことを話すかと言うと、実際に体験しているからである。

仏法は非現実と考えている人は、実際に仏法を体験して、仏法がどんなものなのかを各自で確かめた上で、その非現実を証明して頂きたいと思う。

信仰は洗脳されるから体験できない、という意見の人は、これからも常に他人に振り回されて生きていく人生になるだろう。

私は2008年に顕正会に入った。その当時は宗教のことは無知だったし、仏法用語も難しすぎて何を言っているのか分からんかったからこそ、良いか悪いか自分で体験して判断しようとした。

約7年間、私は顕正会に所属していたけど、それは洗脳されていたわけではなく、自分の意志で顕正会を信じていた、それだけである。だからこそ、納得できない活動は拒否したり、何度も顕正会幹部と衝突していた。

そして、自分の意志で顕正会をやめて、自分の意志で日蓮正宗に入ったわけである。日蓮正宗信徒に折伏されたわけではなく、自ら日蓮正宗に入りたいと私は申し出た。それは、顕正会は間違っている、日蓮正宗が正しい、ということを自分で判断したからである。

想像では正しい判断はできない。何かを証明するには実験が必要なのである。

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