ブログにも息抜きあってもいいんじゃない?

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ブログタイトルで日蓮正宗信徒と名乗ってる通り、私は日蓮正宗で信仰させてもらってる。私は元々そんなに知能が高いわけではない為、私には難しい話は分からない。だからこそ、須梨槃特(すりはんどく)を尊敬してる。

だから当ブログは、日蓮正宗の勉強をしたい人には物足りないだろうし、宗教に興味がない人にとってはスルーしたくなるブログだろう。

私の両親は浄土真宗を信仰してるにも関わらず、豊川稲荷や伊勢神宮にも行ったり、何の神仏のものか分からない御守りなどが我が家には大量にあり、それでいて、宗教は嫌いだという理由で、私の日蓮正宗の信仰を反対し続けてる。

こんなような日本人は結構いて、無宗教と名乗ってるわけである。神仏が喧嘩するのかは分からんけど、無宗教だからと言って、御守りをコレクションのように持つのは、どの宗教に対しても不敬ではないだろうか。神仏は寛容だから、そんなことはないと言う人もいるかもしれんけど、私からしてみれば、それは無宗教じゃなくて多宗教である。

宗教が嫌い、宗教に興味ない、と言っていながら、しっかりと宗教に依存してる人が多いわけである。だから私は、当ブログを活用して、少しでも宗教に対する拒絶反応を取り除いていきたいと願ってる。

私は、日蓮正宗が世界一の宗教だと信じてるけど、それを分かりやすく伝えることは難しい。日蓮正宗の書籍をそのまま書き起こして紹介しても、その内容を理解できない人の方が多いだろうし、毎日仏法の話というのは修行の領域だと思う。

私が日蓮正宗と無関係の話をすることがあるのは息抜きの為である。ガチガチの堅苦しいブログにしたくないから。だから記事タイトルも、なるべく先入観を持たれないように意外と真剣に考えてる。

信心には教学も大事だけど、でも一番大事なのは「信」である。「信」があって「行」に進み、「学」はそれからである。

折伏の前に唱題が大事とされてるのは、自分の心に仏界(仏様の心)を宿さなければ、どんなに上手に話しても相手の心を動かすことはできないからである。逆に、しっかりと唱題してから折伏すれば、口下手であっても相手に伝わるわけである。

スポーツでも、好き(やる気)から始まって、基本の練習に励み、それから技を覚えるという流れである。仏道修行もスポーツと同様に基本が大事だし、もちろん筋肉痛のようなものもあって、仏法ではそれを魔障と言う。

それを乗り越えれば筋力(信心)が鍛えられる。楽な道ではないだろうけど、困難を乗り越えて勝利(幸福)をGETしよう!

頑張るときは頑張って(アリ)、休むときは休む(キリギリス)、そんな「アリギリス」に私はなりたい。

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