不可思議な体験をする理由

蓮正宗で「南無妙法蓮華経」と唱えると、何故、不可思議な御利益があるのか?

その答えは、信仰の対象である「本門戒壇の大御本尊様」の功徳が法界に遍満し、その真理が虚空に通じているから、題目(南無妙法蓮華経)を真剣に唱えるとき、その人の命に功徳が冥合する為、苦の命が一転して不可思議の功徳(真の喜びと幸せ)を生ずる、というわけである。

人生の様々な宿業と出会いのなかにあって、その生存中に種々の不足、不満、不幸が訪れ、そのなかに埋没しつつある人も多い。悩みを悩みとも思わない人も含めれば、この世の人々の苦悩は計り知れない。

でもその苦悩は、真剣な唱題によって好転する。その現実の証拠として、数多くの日蓮正宗信徒が、実際に不可思議な功徳体験をしている。

以上、難しい表現かもしれないけど、結局何が言いたいのかというと、日蓮正宗で真剣に「南無妙法蓮華経」と唱えれば、どんな苦しみも楽になる、何故そう断言できるかというと、数多くの体験談があるから、ということである。

私は、謗法(邪宗)を信仰する家庭に生まれ、謗法が経営する幼稚園や高校に通い、顕正会に所属していたという、今生(現世)だけでも深い罪を積んでしまった。その結果、私の精神状態は酷い有り様である。これはこれで、謗法の恐ろしさを証明しているんだけど、今は日蓮正宗の信仰によって、マイペースではあるけど、乱れた精神状態は少しずつ改善している。

生まれつきであろう発達障害も、今多くの人達が協力してサポートしてくれる環境があり、また、うつ病の症状も発症初期よりは落ち着いている。

努力がなければ成長はない。

コツコツと唱題を継続することで、徐々に苦が楽へと変わっていく。始めたばかりのスポーツでいきなりプロになれないのと同じで、信心したからといって突然変異みたいなことはない。

功徳体験をした同志達は、唱題・勤行・折伏を常に励んでいたからこそ、幸福になれたのである。そして、その体験が数多くあるということは、日蓮正宗の信仰が正しいという証拠である。

当ブログの読者様の中にも、宗教に興味がない人はいると思う。でも、信仰は興味の有無・好き嫌いで選ぶような軽い存在ではない。信仰は人生や命に関わる重い存在であるからこそ、正しいか間違っているかを真剣に見極める必要があり、今の時代で正しい宗教なのは日蓮正宗だけなんだと私は伝えているわけである。

でも、信仰は強制するものではない。宗教に興味がない人を変えれるように、私も仏道修行に励み続けていきたい。

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