謗法は大事な人を奪う

法(邪宗)は、大事な人を奪う。

私の母方の祖父は、毎日のように約2万歩の散歩をしていた。夏休みとか長い休みのときは、私も祖父と一緒に何度も散歩した。

だから知っている。祖父の散歩コースに謗法があり、そこに立ち寄っていたということを。

そして、超元気だった祖父が、医療ミスで亡くなってしまった。あまりにもショックすぎて泣くことができなかったけど、なかなか眠れない夜を過ごした。そのときは、謗法とか知らないから、医療ミスした病院を憎んだ。

私の父方の祖母は、謗法の仏壇を買って、約半年後に急死した。私はストレスが原因で祖母の寿命が縮んだと思っている。だから、祖母の場合は救えたかもしれないのだ。助けられなかったことが悔しくて、1人で密かに泣きまくった。

この2人は、私にとって大事な人達だった。生きている間に何も恩返しできなくて、今でも、悔しいという言葉しか出てこない。

2人がこの世を去った後、宗教には正邪があり、謗法というものがあることを知った。そしたら、全ては謗法の害毒による罰だったことに気付いてしまった。

2人は、謗法に殺されたようなものである。そう思ったら、謗法への憤りは頂点である。この世に謗法が存在し続ける限り、謗法は、また私から大事な人を奪っていく。

私の親は、まだ邪宗の信仰をしている。でも私は、私なりに先祖供養を続けていく。故人は生き返らない、そんなことは私も分かっている。どんなに謗法を憎んでも、戻ってくることはない。寝ているとき、何度か夢に出てくるけど。

もう、謗法で大事な人を失いたくない。私は、日蓮正宗の信仰で守り続ける。

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